転換期のシンガポール――「リー・クアンユー・モデル」から「未来の都市国家」へ
著者の久末亮一氏は以下の記述にあるように講義でリー・クアンユーを「修正全体主義者」「遅れてきたファシスト」と表現しています。
「21世紀に入ると、それまで「明るい北朝鮮」と揶揄されてきたようなシンガポールの国家・社会システムは、国内外の急激な環境変化に適応できなくなり、諸問題が顕在化していった」
こちらはBBCの昨年の選挙に関する記事です。
It's only ever been run by one party, but another has inched forward to challenge its dominance.
久末氏は「手段としてのファシズムの有効性」と「イデオロギーとしてのファシズムの失敗」からリー・クアンユー・モデルが生まれたと分析しています。
また以下の記事は上記の書籍とセットと読むべき記事だと思います。ここではエリートに焦点が当てられていますが、人生の早い時期に「非エリート」と判定された子どもたちの未来はどうなるのでしょうか?
オリエンタルラジオの中田敦彦さん家族が移住してきたことで話題のシンガポール。私は夫の駐在に帯同してきて、この春で在住5年目を迎えた。シンガポールにいると非常に多国籍の人と出会い、世界中で住む場所を選…
シンガポールの発展は日本の戦後の政策や政治文化との類似点も多く、いろいろ考えさせられました。
様々な人々の努力によって現代にその姿を留め、私たちの暮らしを豊かにしてくれるデザインや建物、風景について綴っていきたいと思います。
「橋田壽賀子のラストメッセージ〜“おしん”の時代と日本人」―再放送を視聴
先回は「ながら見」だったので、いくつ重要な点を見逃していました。以下、再放送を視聴後、重要だと思った点を列挙します。
・橋田さんは主人公「おしん」を明治34年生まれ、 昭和天皇と同い年に設定しました。理由は昭和天皇の生きた時代の歴史「昭和」を体現する物語にしたかったから。彼にこのドラマを見て欲しい、という願望もあったようです。
・おしんの名前は最初から決めていたそうです。心、辛、神、など様々な意味を含んでいます。
・おしんの物語は一人の女性の生涯をとおしてみた日本の近代化、経済発展史をドラマ形式で描写しています。
・真面目な「軍国少女」であった橋田さん。庶民を戦争に巻き込んだ、当時の日本のリーダーたちに対する怒りは並々ならないものがあったようです。戦争終結時には、敗者の武将が自決する「平家物語」のように、指揮官は何らかの責任を取るものだと想像していたのに、現実は違ったことへの憤りを主人公おしんの夫の葬儀の場面でのセリフを通じて語らせています。
・橋田さんの母校、大阪府立泉陽高等学校で歌人の与謝野晶子も学びました。ここに置いてあった「君死にたまふことなかれ」の詩が描かれた屏風から、いつかこの詩をドラマで使ってみたいと思っていたそうです。おしんの登場人物の1人、日露戦争の脱走兵がこの詩をおしんに教えます。大阪府立泉陽高等学校前身は府立5番目、公立の女学校として大阪で2番目に古い高等女学校ですが、その発祥は明治初期1874年に開設の堺女紅場だったそうです。俳優の沢口靖子さんなど多くの著名人を輩出した学校でもあるようです。
・「身の丈を超えた日本人」というタイトルで、ドラマ後半では、更なる豊かさを追い求め、経済成長に奔走する日本人の危うさを語っています。とりわけ、流通革命、価格破壊、大量出店を実行したスーバーマーケット・チェインを取材した際に橋田さんが感じた不安は、現実のものとなります。